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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)8645号 判決

原告(反訴被告)

株式会社サウンド総合研究所

右代表者

佐々宣

右訴訟代理人

馬場秀郎

被告(反訴原告)

村越勝弘

右訴訟代理人

加島安太郎

外一名

主文

被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し金一五〇万円及びこれに対する昭和四九年二月二二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告(反訴原告)の請求を棄却する。

訴訟費用は、被告(反訴原告)の負担とする。

この判決の第一項、第三項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判〈略〉

第二  当事者の主張する事実

一、本訴請求原因及び反訴請求原因に対する答弁

1  原告は、昭和四八年四月二三日音楽関係の雑誌の発行を主たる目的として設立された会社であるが、その発行する雑誌名を「月刊オーデイオフアン」と決め、同年五月中には創刊号の編集を終えて印刷に入り、同年六月九日には販売取次店に納入した。

被告は、昭和四六年一二月一三日、指定商品を第二六類雑誌とし、商標を「オーデイオ・フアン」とする商標登録出願をしていたものであるが、右出願に対して昭和四七年一一月二四日出願公告決定がされ、昭和四八年三月二九日には出願公告された。原告は、右事実を本件雑誌の販売取次店への納入日の三日前である同年六月六日に知り、第二号からは雑誌の名称を変更しなければいけないと思つたが、創刊号は既に印刷・製本も終つているのでそのまま発行することにし、翌六月七日一応儀礼上被告に電話でこのことを連絡し、更に同月一三日、一五日に被告と話し合つた。右話合いにおいて被告は、原告会社代表者Sに対し、原告会社はその資本の五一パーセントを被告に渡して被告と一緒に仕事をするか、本件雑誌を全部小売店の店頭から回収するかせよ、そうしないと仮処分によつて本件雑誌の販売を中止させ、かつ販売取次店や広告スポンサーに話して今後原告が雑誌を発行することができないようにして原告を出版界から締出してやる、などと言つてSをおどし、かつ、原告の行為が法律上差止められるものであるかのように誤信せしめた。その結果、同年六月一五日にSは被告に対し、被告商標の使用料として金一五〇万円を支払い、かつ朝日新聞紙上及び本件雑誌の第二号に各謝罪広告文を掲載することを約し、同日右金一五〇万円を支払つた。

2  しかしながら、原告が右のように被告に対し金員の支払及び謝罪広告をすることを約した当時においては被告商標は未だ設定登録されておらず、従つて被告は原告に対し、原告が被告商標の類似商標(以下原告の使用した商標を「原告商標」という。)を使用したとしても差止請求権を有せず、原告もまた被告に対し被告商標の使用料を支払う義務を負うものではなかつた。Sが右のように被告に対し被告商標の使用料を支払い、謝罪広告をすることを約したのは同人の錯誤によるものであり、右錯誤は要素の錯誤で同人の意思表示は無効である。

3  仮に錯誤による無効が認められないとしても、Sは1で述べたような理由で、被告の詐欺又は強迫に基づいて右のような意思表示をしたものであるところ、原告は昭和四九年二月一六日被告到達の内容証明郵便で右意思表示を取消す旨を通知し、同時に右郵便到達後五日以内に原告が支払つた金一五〇万円を返還するよう求めた。

4  よつて原告は、被告に対し、不当利得として金一五〇万円及びこれに対する昭和四九年二月二二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

5  原告が被告主張のように、朝日新聞紙上に掲載すべき謝罪広告に代えて金五〇万円を昭和四八年七月二〇日までに支払うことを約したことは認めるが、右合意は3で述べた詐欺又は強迫に基づく意思表示を基礎とするものであるところ、右意思表示を3で述べたように取消した以上その効力がないし、かつ、右合意における原告の意思表示も前記詐欺又は強迫に基づくものであるから、原告は右意思表示を3で述べた内容証明郵便で取消した。

三、被告の答弁及び反訴請求原因

1  本訴請求原因1のうち、原告が音楽関係の雑誌の発行を主たる目的として設立された会社であること、被告が昭和四六年一二月一三日、指定商品を第二六類雑誌とし、商標を被告商標とする商標登録出願をしたこと、右出願に対して原告主張のような出願公告決定、出願公告がされたこと、昭和四八年六月七日原告から電話を受け、同月一三日、一五日に原被告間で話合いが行われたこと、その結果原告が被告に対し金一五〇万円を支払いかつ原告主張のような謝罪広告をすることを約し、同月一五日に金一五〇万円を支払つたことは、いずれもこれを認めるが、原被告間の話合いの内容は否認する。その余の原告主張事実は知らない。

被告は、原被告間の話合いにおいて、原告に対し、被告商標はまだ登録されてはいないが、被告は将来被告商標を使用して雑誌を発行しようと考えているから、原告に本件雑誌名を変更して欲しいと申入れたところ、原告は既に創刊号を取次店に納入済なので、その誌名を変更するわけにはいかないが、将来被告が被告商標を使用して雑誌を出版する場合には、被告が雑誌の出所の混同等により損害を蒙ることになるであろうから、なんらかの意味でその損害を賠償し、かつ謝罪したいと申入れた。そこで原被告は、更に話合つた結果、昭和四八年六月一五日、原告は創刊号のみ被告商標を使用し、第二号からは誌名を変更することとし、あわせて被告に一五〇万円を支払うことと謝罪広告することを約したのである。

右のように、一五〇万円の金員は原被告間の約定に基づいて支払われたものであり、もともと登録商標の使用料として支払われたものではないから被告がこれを原告に返還すべき筋合いはない。

2  本訴請求原因2のうち、原告が被告に対し金員の支払及び謝罪広告をすることを約した当時被告商標は未だ設定登録されていなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

Sは、被告商標が未だ登録されていないものであることを知つており、かつ特許庁の係員から被告商標が登録されるまではそれを使用してもよい旨を聞いており、更に昭和四八年六月一五日には本件原告訴訟代理人である弁護士Bと同道して被告に会つているのであるから、錯誤などあり得ようはずはない。

3  本訴請求原因3のうち、原告主張のような内容証明郵便が原告主張の日に到達したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告は、Sに対しなんら強迫又は詐欺となるような言辞を弄していない。右に述べたようにSは特許庁の係員及び弁護士に相談していたものであり、また被告に金一五〇万円を支払つた後も、昭和四八年六月一八日には、朝日新聞に掲載すべき謝罪広告に代えて被告に対し同年七月二〇日までに金五〇万円を支払うことを約し、更に同年八月一日発行の第二号雑誌の誌名を「月刊サウンド」と変更し、その編集後記にはその間の事情を説明し、出願公告中の商標を引続き使用することは不適当で、被告に迷惑をかけたことを深く詫びる旨を記している。以上のような経緯からみても、原告の支払約束等の意思表示が被告の強迫などによりなされたものでないことは明らかである。

4  前項に述べたように、原告は被告に対し、昭和四八年六月一八日に、朝日新聞に掲載すべき謝罪広告に代えて、同年七月二〇日までに金五〇万円を支払うことを約したものであるから、被告は原告に右金五〇万円及び右金員に対する昭和四八年七月二一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

5  本訴請求原因及び反訴請求原因に対する答弁5のうち、原告が謝罪広告に代えて金五〇万円を支払う旨の意思表示を取消したことは否認する。

第三  証拠〈略〉

理由

一被告が昭和四六年一二月一三日被告商標について指定商品を第二六類雑誌として商標登録出願したこと、右出願に対して昭和四七年一一月二四日出願公告決定がされ、昭和四八年三月二九日に出願公告されたこと、同年六月一五日にSは被告に対して金一五〇万円を支払い、かつ朝日新聞紙上及び本件雑誌の第二号に各謝罪広告文を掲載することを約し、同日右金一五〇万円を支払つたことについては当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。

原告会社は昭和四八年四月二三日音楽関係の雑誌の発行を主たる目的として設立されたものであるが、Sはその前の同年一月下旬頃からその設立準備をすすめ、同年二月末頃にはその発行する雑誌の題名を「月刊オーデイオフアン」(原告商標)と決定し、三月中旬には特許庁に赴いてそれと同一ないし類似の商標が登録されているかどうかを調べ、登録されていないことを確めて、いよいよ右題名で創刊号を発行しようとして、六月初旬には印刷、製本を終えて六月九日には販売取次店に納入した。そして、その販売取次店への納入の日の前である六月六日に念のためもう一度原告商標と同一又は類似の商標が登録されているかどうかを調べさせたところ、前記のとおり被告商標が昭和四八年三月二九日に出願公告されていることを発見した。そこでSは、同年六月七日特許庁に赴いて係官に相談したところ、係官から被告商標はまだ設定登録されていないから、それが設定登録されるまでは原告会社は原告商標を使用して本件雑誌を発行することができるが、できるならば原告商標を使用しない方がいいだろうとの回答を得たが、既に被告商標の出願公告がされていることでもあるから儀礼上被告に原告会社が原告商標を使用して本件雑誌を発行することを連絡しておいた方がよいだろうと考え、同日被告に電話でその旨を伝え、これをきつかけとして原、被告間の交渉が始まるようになつた。そしてその交渉の経過において被告は同月一三日Sに対し、自己が出版業界に通暁しておりかつ直ちに弁護士資格を得られる程度の法律知識を有し、商標についても専門家である旨強調したうえ、特許庁係員の前記回答を強く否定し、「被告商標が登録された場合は出願日に遡つて商標権が生ずるから、原告が被告商標と類似する原告商標を使用すれば被告商標を盗用することになる。このようなことは出版業界では到底許されないことである。」旨告げて取次店へ納入されている本件雑誌創刊号の回収を求め、更に「任意に回収しない場合には仮処分によつて回収させ、広告スポンサーに内容証明郵便を出して原告が出版業務を継続出来ないようにする。それを望まないなら原告株式の五一パーセントを被告に譲渡し、被告とSと共同で原告会社を経営するしかない。」旨告げてSに右の要求の諸否を検討することを約させ、更に同月一五日右共同経営案を拒否した同人に対し、「原告商標の使用は被告商標の盗用であり不正競争防止法によつても差止めることができるものであるから直ちに本件雑誌創刊号を書店から回収し、朝日新聞と日本経済新聞の社会面記事欄下に二段幅七センチメートルの謝罪広告をするか被告に対し商標使用料として一五〇万円を支払い、かつ朝日新聞社会面記事欄下に二段幅七センチメートルの謝罪広告及び本件雑誌第二号に謝罪広告をせよ。さもなくば直ちに仮処分を申請し本件雑誌創刊号を回収させるとともに、広告代理店へ指示して広告スポンサーへ内容証明郵便を出させることになる。そうなると原告は雑誌の発行が出来なくなり倒産する。」旨告げ、更に「右仮処分の申請及び広告代理店への指示の手はずはすべて整つているので被告の電話による指示により直ちに右の手続がとられることになつている。」旨告げて直ちに態度を決するように強く迫り、その結果、Sは、特許庁係員の前記回答の信憑性に強い不安を抱き、もし被告のいうことが正しく、かつ被告がいうような仮処分により本件雑誌創刊号の回収を余儀なくされ、また被告の指示により広告代理店から広告スポンサーに対し、原告が被告商標を盗用した旨の内容証明郵便が出されることになれば、出版業界において実績のない原告が財産上及び信用上回復し難い損害を被り、遂には倒産に至るかもしれないとの強い恐れを抱き、前記のように被告からその場で直ちに決断すべき旨迫られた結果、右倒産の危険を避けるためやむなく被告の求めに応じて被告商標使用料として金一五〇万円を支払い、かつ謝罪広告をすることを約し、同日右金員の支払を了した。

右のように認めることができ、被告本人の供述中右認定に反する部分はこれを信用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三原告は、Sが被告に対し金一五〇万円を支払い、かつ謝罪広告をすることを約したことは、同人の要素の錯誤によるもので、右意思表示は無効であるというが、右認定の事実によれば、Sは特許庁係員のいうことよりも被告のいうことの方が正しいと思つて、その結果商標使用料支払義務があるとまで誤信したとはいえないから、結局原告の錯誤の主張はその理由がない。

四しかしながら、前記認定の事実によれば、Sは被告の強迫によつて被告に対し金一五〇万円を支払い、かつ謝罪広告をすることを約したものということができる(なお、前記証言及び供述によると、六月一五日の交渉に際してはB弁護士がSに同道した事実が認められるが、同弁護士は右交渉に赴く途中のタクシー及び電車内でSから初めて事の経過の説明を受け、その際も何等自己の法的見解も述べず、また被告と会して後もその主張を聞き、それに対し疑問を指摘したのみで確たる反論もせず、交渉途中で退席し、被告がSに対し前示のとおりの要求を出し、直ちに態度を決すべき旨強く迫つたのは同弁護士の退席後であつたことが認められるので、弁護士が一時同席していたことは前記認定の妨げとはならない。)。

五原告が昭和四九年二月一六日被告到達の内容証明郵便で被告に対し、Sの前記意思表示を取消す旨を通知し、同時に右郵便到達後五日以内に原告が支払つた金一五〇万円を返還するよう求めたことは当事者間に争いがない。

六そうすると被告に対し、右金一五〇万円の返還及びこれに対するその履行期後である昭和四九年二月二二日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は、その理由がある。

七次に反訴請求原因について判断する。

昭和四八年六月一八日、Sと被告との間で、原告が被告に対して負担していた朝日新聞に謝罪広告を掲載すべき債務について、原告が右債務に代えて被告に対し金五〇万円を支払う旨の合意が成立したことは当事者間に争いがない。

しかし、右合意は債務の要素を変更することをその内容とするものであるから、民法第五一三条の更改契約に該当するところ、右合意の時点において前判示の強迫状態が消滅していたことの主張・立証はないから、前説明のとおりSの意思表示が取消され、謝罪広告債務が存在しなかつたことになる以上、右合意もまた効力を有しないと言うべきである。よつて被告の反訴請求は、その理由がない。

八以上のとおり、原告の本訴請求は理由があるからこれを正当として認容し、被告の反訴請求は理由がないからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言つにき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(高林克巳 清永利亮 岡久幸治)

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